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西御門 (鎌倉市) : ミニ英和和英辞書
西御門 (鎌倉市)[にしみかど]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [ご, お, おん, み]
  1. (pref) honourable 2. honorable 
御門 : [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 
: [かま]
 【名詞】 1. (1) sickle 2. (2) part of a fish around the gills 
: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [し]
  1. (n-suf) city 

西御門 (鎌倉市) : ウィキペディア日本語版
西御門 (鎌倉市)[にしみかど]
西御門(にしみかど)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字雪ノ下の北部に位置する。
地名の由来は、鎌倉幕府の鎌倉(大倉)御所の西門があったことから転じ、西門前を南北に通ずる西御門大路の北方の地域を指した。
吾妻鏡によると文治2年(1186年)正月5日に「美濃藤次安平西御門家」と記されているのが初見である。建保元年(1213年)5月4日、将軍源実朝は西御門に赴き、和田合戦で傷付いた武士の実検を行っている。
元仁元年(1224年)9月5日子ノ刻に三浦義村の「西御門亭」が焼失。暦仁元年(1238年)正月10日には、義村亭の他に後藤基清三浦家村らの居宅が罹災。義村亭を譲り受けた三浦泰村は、宝治元年(1247年)の合戦で敗れて居宅を焼失。後に北条義時が居を構えた。
応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱では、禅秀に加担した足利満隆持仲義堂周信開祖の保寿院で挙兵。享徳3年(1454年)には関東管領上杉憲忠鎌倉公方足利成氏の西御門亭で殺害される(享徳の乱)。
戦国時代には建長寺の所領があり、天正18年(1590年)4月、豊臣秀吉小田原征伐に際し、二階堂郷中の一つである当地に禁制を下し、掌握しようとした。正保国絵図には「西御門村」が記録されている。いつの頃からか二階堂、浄明寺十二所とともに「谷合(やつあい)四ケ村」と称された。
明治22年(1889年)の町村制施行で東鎌倉村に属した。明治27年(1894年)の鎌倉町誕生で大字となり、昭和14年(1939年)から鎌倉市の町名となる。昭和43年(1968年)1月1日の住居表示に伴い西御門一丁目-二丁目となった。
== 寺社・旧跡 ==

* 源頼朝墓(白旗神社
* 北条義時墓(法華堂跡)
* 来迎寺
* 西御門サローネ(旧里見弴邸)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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